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私とコンピュータゲーム
私がコンピュータと付き合うことになったきっかけは、大学4年の
研究室からである
今思えば当時はコンピュータの黎明期で、恐ろしい勢いで進化し
ていた
順番に書いてみるとその進歩が判る
大学4年生の時、大学に合ったコンピュータは、メモリー8KB、
ドラム型磁気記憶装置6MB、カード入力でプリンタ出力であった
ブートストラップといって一番最初にOSを読み込む命令を入力する
つまりOSさえメモリーに入っていなかった
メモリー8KBでOSと言語システムと自分のプログラムとデータを
全て納めなければならない
だから長いプログラムはそれだけでメモリーオーバーした
プログラム自体を分割し、ドラム記憶装置で順番にメモリーにロー
ドして実行する
そんな状態から、新型コンピュータが入った
メモリー128KB、磁気ディスク装置は100MB、同時に8つのプロ
グラムを並列処理し、内4つはOS、カード入力機、プリンタ、並列
制御、残りの4つをユーザ―で使用出来た(?多分)
この2台で一年間、OR(オペレーションズリサーチ)や電界シミュー
レーションの勉強をした
そんな中、同じ研究室の先輩がモナリザの絵を描いた紙を見せて
くれた、良く見るとタイプライターでアルファベットが並んでいる
初めてコンピュータを遊びに使ってもいいと判った瞬間だった
その先輩は自分で作ったのではなく、卒業生の作品を動かしただけ
だった
プログラムは簡単で、印刷命令がたくさん並んでいるだけだった
それにしても、考えて欲しい
初期型のディスプレイもないコンピュータでどうやって遊ぼうと思い
ついたのか!!
私も触発されて遊んでみることにした
私がやったのは、数学の複雑な問題を解かせる事だった
例えば、こんなのはご存じだろうか
ある奇数を3倍して1を足す、答えは必ず偶数になる
これを奇数になるまで2で割る
その奇数をまた3倍して1を足す
このようにすると、全ての奇数は最終的に1になる事を証明せよ
この問題は1にならない事例を見つけるという力づくの解法はまず
考えられるが、それ以外にエレガントに証明する方法が見つかって
いない
この間深夜番組の「たけしの駒大数学科」という番組で紹介され、
今でも解法を見つけると懸賞金が貰えるそうである
理論的には1に近づく確立が、回数を続けるほど高くなることは、私
でも証明できた、確率の問題なのでそれ程難しい話ではない
従って、可能性があるのは続けると同じ数字が現れるループのパ
ターンである
そこで力づくで証明するのにコンピュータの力を借りようというので
ある
もし100回繰り返しても1にならなかったらその数をプリンタに印字
するようにプログラムを作り、テストを何回か繰り返し(デバッグという)
大丈夫そうなのでコンピュータが沈黙したのを見届けて家に帰った
次の日研究室の教授から呼びだされて紙の山を見せられてお小言を
いただいた
そんな馬鹿なと思い、結果を見ると、計算途中でコンピュータが桁あ
ふれし、それ以降の数字は全部ループを繰り返し、対象になり、印刷
されてしまったのである
幸いなのはループは私だけでなく過去に何度も先輩方がやらかして
いるらしく、数時間経ってもプログラムが止まらないと自動的に強制
終了させる仕組みになっていた事だった
もしこれでうまくいっていたら私はコンピュータ屋でなく別の商売を目
指していたと思う
世の中甘くないということを肌で知ったため、かえって情熱に火が付
きその後の1年間は、研究テーマとゲームと両方のプログラムを二
股かけてコンピュータ漬の毎日を経験した
会社に入ってしばらくはコンピュータを使えない日々が続いたが、そ
の年の秋のボーナス20万円を全額はたいてパソコンを購入した
(当時はマイコンといった)
その後。職場も事務処理コンピュータのオペレーションをする職場に
移り、再びコンピュータ漬の毎日が始まった
自分で買ったパソコンはメモリー64KB、補助記憶装置は音楽用カセ
ットテープ、入力はキーボード、出力は専用ディスプレイだった
競合メーカーから16万円でテレビ、カセットテープ別売りの商品も
あったが、テレビの映りが悪く、何よりカセットが別売りのため、データ
が確実に記憶できず、折角作ったプログラムが消えてしまう等のトラ
ブルがあった
反面、私の買った商品はBASICインタープリターがROMメモリーに
記憶されておらず、その都度カセットから読み込む形式だった
会社の事務用汎用コンピュータはメモリー32KB、補助記憶装置は
磁気テープ装置4台、入力は紙テープ、出力はモニター用プリンタと
大型プリンタの2台だった、まだ磁気ディスクはなかった
価格は月々160万円のリースで3年目だった
何が言いたいかというと、わずか3年で月々160万円していたコンピ
ュータとメモリー性能だけなら互角のコンピュータが20万円で購入で
きたということである
大まかな言い方だが、半年でメモリー性能2倍のものが価格半分に、
補助記憶装置も同様に性能2倍価格半分
3年で性能64倍、価格64分の1、価格性能比4000倍になるのである
つまり1億円していたコンピュータが3年後には2〜3万円で買える理屈
になる
これは飯のタネになる、今コンピュータに人より詳しくなれれば、それだ
けで、仕事を有利に進められると思った
だからボーナスをはたいてパソコンを購入したのである
しかし、パソコンをいざ何に使うかとなると、ゲームしか道がなかった
今の様にエクセルやワープロを使える代物ではなかった
ネットワークもアメリカで始まったばかりで、日本では電話の音声で
紙テープ装置同士をつないで300ビット/毎秒の速度で売り上げデータ
を転送する程度の仕組みしかなかった時代である
構内を有線で接続しても1200ビット/秒程度だったと記憶している
だから、パソコンの中だけで完結するゲームを考え、自力でプログラム
を作る
自力では限界があるためパソコン雑誌はゲームプログラム満載であった
ゲームを組めない人はパソコンを買っても楽しめないのである
私はそんな中でも人より一歩有利だった
学生時代の経験の貯金がある、なによりキーボード入力が早い
更に商売でいつもコンピュータの勉強ができプログラムの訓練ができる
そこへ持ってきて将棋の様に考え込むのが好きだった
今でいう「おたく」である
大学で始めてから約10年間、ひたすらゲームプログラムを作った
また、ゲームのジャンルの研究や人の作ったプログラムを自分のパソコン
で動かしてみる等に打ちこみ、ある意味充実した10年間だったと思う
ではどんなプログラムに興味を持ったのか
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