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KJ法の正しい考え方
この間、古書店でついに川喜多二郎先生が著者となっている本を見つけた
2020年2月であり、書籍は初刊が1967年となっており、この本は1992
年で66版となっている、すでに続発想法という続編もあるらしい
知らぬは私ばかりなりである、NETによる情報は本当に重要な事は掲載
されていないと常々感じていたが、痛感している
タイトルが発想法となっており、今まで見過ごしていたのかもしれない
早速購入して読んでみると、KJ法の名前の由来からして先生自らがつけた
ものでなく、たまたま使用した教材の中に先生のイニシャルの入ったものが
あり、そこから名前が広まったとの事、従って先生自らがKJ法を表だって
タイトルに使わないという奥ゆかしいものであった
理由は判ったが、その名前で本を探すしか能の無い我々初心者にとっては
やっかいなことであった
内容はさすがに判りやすく、なぜKJ法なのかという理由も納得のいくもので
あった
今まで独りよがりであれこれ少ない資料から憶測していた自分が情けなくな
ったが、恥を忍んで同じ思いをしている皆様にお伝えするべきと思い、自身
のホームページに要約をお伝えする事にした
当然私が誤解してしまった他の判りずらい人達の作成した情報と同様に、
先生の真意が誤解して伝わってしまう危険に恐れを抱かないではないが、
KJ法ではなく、先生の著者名で発想法と言う名前で本を探しなさいと言う事
が判っただけでもこの文章を呼んでいる方には収穫ではないかと思った次
第である
以下は本の内容に対する私なりの解釈である
これ以前に書いた文章を見直してみたが、全くの見当外れではなかった事に
安堵した、先生の真意を100点とすれば、20〜30点くらいはあっている
しかし、非常に部分的であり、先生の専門分野が文化人類学であることから
「野外科学」という従来の科学で体系的でなかった部分に独自の考察を加え
その中の部分としてのKJ法であることを説明しないと、必要性や使用法に
誤解を与えるであろうことを痛感した
私の解釈は正にその通りで、会社でKJ法を使えなくはないが、既成概念で
凝り固まった集団が虚心坦懐に心をむなしゅうして事実を見つめる事は非常
に難しく、結果が私が経験したように創造にならないのである
せいぜい言葉の言い回しの変化程度になってしまう
おそらくネットへの投稿者も似たか寄ったかの経験をし、訳が判らない人が
記事を書いているのであろう
だから先生の真意が伝わらないのだ
本を読むと創造の部分以外は実にシンプルで必然である
しかし、先生自身も創造の部分だけは、つまりKJ法を使用する場面だけは
天才のひらめきと同じ思考法を分析し、実施すると述べているように、混沌
の中からの発見が難しい事を認めている
我々凡才に到ってはなおのこと難しい事は理解出来た
理屈で判るのと、実行できるのとでは雲泥の開きがある
私も以下の様にこうすれば出来ると説明は出来るがこの通りに実行できる
という訳でなないことをお断りしておく
そのため先生の様に実行した結果で書かれた内容と違い、想像による嘘が
混じっている可能性がある
それでも何かせずにはいられない、それほどKJ法は現代に生きる我々にと
って必要な知恵であると思う
1.野外科学の重要性
2.野外科学の進め方