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西国三十三所観音巡礼
1番 那智山 青岸渡寺
場所 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
ご朱印
私が何故この場所にこだわったのかというと、古事記に出てくる
有名な神武東遷の物語で、神武天皇が当初大阪湾から上陸し
ようとしたが地元の豪族(ニギヤハギ)に阻まれ、太陽を背に受
けて戦わなかったのが敗戦の原因と考え熊野のあたりまで回っ
てから上陸したという言い伝えがあり、このヤタガラスを祭って
ある神社が上陸地点ではなかろうかと思ったのである
実際に車で熊野から大阪方面の紀三井寺まで海岸伝いにいって
見るとその距離の長さに驚く
車でさえ3〜4時間かかるのである、船で行けば1週間以上かか
るだろう、途中に大人数で船が何隻もで休めるところはほとんど
ない、小さな入り江がある所が数か所あるだけである
このことから神武天皇の一行はそれほど大人数ではなく、せいぜい
数十人といった程度と考えざるを得ない
神武東遷という言葉からは大群と思いがちだが、そういう目で日本
書紀を読んでみると、大群とはどこにも書いてない
したがって大阪で勝った相手もさほどの大群ではなかったことが
うかがい知れる(後で負けているから)
当時の日本には大阪平野といえども、せいぜい数百人程度の村
落しかなかったのではないかと思えてくる
魏志倭人伝で邪馬台国は7万人の国と出てくるが、7万人というの
は、当時魏の国を苦しめた高句麗より人数が多いのだそうである
神武東遷が邪馬台国より前にあった出来事なのか後なのかは
判らないが、神武東遷をシミュレーションしてみると不思議に思え
ることが多々出てくる
例えば、大阪を南下していくとやがて太陽を背に受けて上陸できる
場所があるとどうして知ったのだろう
物語を文章で読んで知るのと体で理解するのとのギャップを感じる
また、伊勢神宮は地図ではすぐ近くに見えるが、実際に走ってみると
熊野まで100Km以上ある、しかも海岸線は岩だらけで昔道路が整
備されていない状況では船でも徒歩でも非常に困難な道中であった
に違いない
有名な言葉に「お伊勢参り」と「熊野詣で」というのがある
地図で見ると近いので伊勢神宮にいった人が「ついでに」熊野も
と考えていたが、そういう雰囲気ではない
森の中をさまよったことのある人なら、海岸から数キロ離れた森を
「海岸に沿って」歩くのがどれほど困難なことか理解できると思う
頭で理解するのと実際に歩いて理解するのとは大きく違う
この2ヶ所の天皇家の聖地は近いようで遠いのである
神武天皇がこの地に上陸したとき案内に現れたのがヤタガラスで
あった、おそらくその地に住む住人であろうといわれている
その後ヤタガラスの案内で陸路で奈良に入ったというが、高野山
のあたりを車で走ってみたが、山また山でこんな所を通るくらいなら
引き返して大阪から、せめて紀三井寺のあたりから上陸するべきで
はと痛切に感じる
熊野古道というが観光で歩くのならともかく、ここを抜けて奈良に出
てから、もう一勝負するのである
とてもじゃないが、山を抜けるのがやっとで戦の雰囲気じゃない
車で紀三井寺まで4時間かかるのを、険しい山道を200Km制覇
するのである
那智の滝や三重塔を見ながらそんな事を思っているのは私だけ
かもしれない











<実は展望台がこの上にあるのだが疲れてしまい上がれなかった>








<滝を見ながら食事>


<1番札所から2番に向かう途中の海岸にて橋杭岩>

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