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なぜ働くのか
子供の頃は正直いって、大人になるのがいやだった
遊べなくなるから、働かなければならないから
汗を流して必死に働く親や周囲の大人を見て、つらいと思うのが本音だろう
それが自分のためと判っても辛くなるだけで、働くことへの意欲はますます
そがれる結果となった
しかし、学校を卒業し、すったもんだの挙句人並みに会社に就職でき、大人
に混じって朝から晩まで言われるままに夢中で働くようになる
幸い5月病にもならず、1年立ち、2年立ちして、何時しか働くのが嫌だという
気持ちが無くなり、仕事のストレスをどう克服するかとか、自分の時間で仕事
の勉強をしなければといった事まで考えるようになった
今定年を意識するようになって、もうすぐ働けなくなるという、子供のころとは
全く逆の立場で考えている自分に気付いた
働くっていったい何のため、そりゃお金はあるほうがいいし、働く喜びというも
のもあるさと思いながら、それは根源的な働く目的でないと思う自分がいる
自分がお金を使って楽しむためというのはあるだろう
しかし、何かむなしい、子供におもちゃを買ってやった時の喜びがない
家族が私の薄給に文句言いながら、みんなで食事に行ったり、遊園地にいっ
たり、おもちゃ売り場の前で人並みにねだられたり、当時はしょうもないと思っ
た事が実は働きがいだったのではと気づくのに時間はかからなかった
私は家族にお金を使ってもらいたくて、働いていたのである
亭主と、女房子供との差はどこにあるのか
亭主は金を稼ぐ事を考えるが、女房子供は金を使う事を考える
俺は亭主だと思っていても、女房子供のために金を稼ごうと考えない内は
亭主とは言えないのではないか、亭主は大人と置き換えてもいい
稼いだ金を全部使ってしまう内は大人とは言えない、誰かに使わせてやって
初めて大人になるのである
今の自分もそうだが、世の中には自分が生活するのがやっとという程度しか
お金を稼げない人が大勢いる
その人がこれから結婚し家族を持とうという世代の人の場合、辛いと思う
自分も結婚したてはそうだった、一人では食べていけなくても2人なら何とか
なると背中を押されて結婚したが本当につらかった
家族を養えないのでは働いたと言えない、そんな悲壮な思いで頑張った時期
があった
朝は暗い内に家を出て、夜は女房も寝た後でそっと家に帰り、風呂に入り寝る
そんな生活が週に6日続き、やっと日曜日に家族と一緒に食事をする
ある日曜日の朝、子供が「おじさん誰?」といった、1週間で子供に顔を忘れら
れてしまったのである
女房と苦笑いするしかなかった、その時俺は何のために働いているのだろう
つくづくそう思った記憶がある
女房の愚痴の一つに公務員と結婚すれば良かった、少なくとも夕飯は一緒に
食べられるし、子供を一人で風呂に入れなくてもいいというのがあった
今、子供は大きくなり、年金も貰うようになり、そんなにあくせく働かなくても
よくなった、まあ働きたくても働かせてもらえないのだが
改めて思う、私は自分のために働いて、はたして満足が得られるのか
誰かのために働かないと嬉しくない、誰のためでもいい、誰かのために働きたい
でも、なけなしの金を誰かさんが使ってしまうのを見たらやっぱり悲しいような気
がする
一度は悟ったつもりでも、またもや悩むのである
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