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我が家の猫追悼
我が家の猫が死んだ、「たま」と呼んでいた
私が68歳になるになるということは、「たま」は6月で満9歳
になるところだった
腎臓が機能しなくなる腎不全という病気らしい
食が細り、水も飲めなくなり、それに気が付いて医者に行っ
た時は大抵手遅れらしい
猫では一番多い死因らしい、手遅れと聞いた時は正直慌て
た、せめて食べていない分点滴でも打って貰うよう要望した
が断られた、泣くような思いで家に連れて帰り、女房と死ぬ
まで看取る事にした
家の外に出すと長生きできないというのが最近の風潮らし
いが、そういう意味では一般の猫と同じ病気で死ねるので
長生きした方だと思う、食べたいだけ食べたのに糖尿病に
ならず、外で喧嘩もし、怪我をしたことも数度あったのに猫
エイズを免れ、正にやりたい放題の一生だった
思えば、貰って来たのは6月の末だった
私の父が死に、母が一人になり、私は週末に実家に帰り、
月曜に家に戻る生活をしていた
実家には犬を飼っていた、母は毎日朝一回犬を散歩させて
いた、実家に帰った土曜と日曜の朝だけは私が代わりに散
歩させ、餌をやっていたが、いっぱいやりすぎて太ってしまい
糖尿病を発症させ、とうとう3年で死んでしまった
犬は犬食いといって、ある分だけいっぺんに食べてしまう性
質があるらしい、次の獲物に何時ありつけるか判らない生活
を長い事していたのでそういう習性になったのだという
いつ行っても餌を欲しがるのでついやってしまったのが、失敗
だった
母に怒られたが後の祭である
犬がいなくなり暫く立ったが、私がいない日は何かさみしそ
うである、母に相談して今度は猫を飼う事にした
以前から家の天井や台所でネズミがうろうろしていたのが
気になっていた、百姓家なのでしょうが無いのだが、寝床に
までうろうろするようになり、ネズミ取りをしかけたが、らちが
明かないで困っていたのである
幸い新聞の「あげます・売ります」という欄に猫をあげます
という人がいたので、お礼と猫用のかごを購入し訪問した
そのお宅は高崎市の住宅が密集する市街地で、大きな鉄柵
の中で10匹くらい猫を飼っていた
その中のひときわ大きな黒灰色の猫が子供を産んだらしい
その子が対象だった
全部で3匹いたが一匹は親猫にそっくりな黒灰色だが、2匹
は縞模様のある白と黒と灰色の混じった色だった
かわいい猫の代名詞としてCM等にも出てくる猫に似ていた
のでその中の体格の良さそうな猫を貰う事にした
猫の御主人は2匹貰ってほしいといったが、そんなには飼え
ない、お礼を渡し、代わりにいつもくれている餌を一袋もらった
カルカンという私でも知っている銘柄だった
抱き上げた猫に「我が家の方がこの檻の中よりずっと自由で
幸せだよ」と、その家のご主人に判らぬよう心でつぶやいた
猫を抱きあげると私の片手の手のひらの上でミャアミャアと
泣いた、その猫にしては大きすぎるかごに猫を入れた
もっと小さいかごの方が良かったかもしれないが、将来大き
くなっても使えるようにと思い猫をいれるかごの中で一番大き
いのを買った、まさかそのかごに入りきらない大きさになると
はその時は思わなかった、確かに親は大きな猫だったがすら
っと痩せていたし、その親でさえ、かごは充分な大きさだった
<来た当初の大きさ>
来た当初は週に一回くらいの割合で写真に撮り成長を
見ようと思っていたが、とに角じっとしていないにでブレて
しまっている
母の手のひら位の大きさなのが判る

<一月後>早くも大きくなっているのが判ると思う

<約2カ月位>CMモデルの様な毛並みと愛らしさ
アメリカンショートヘアという種類と日本猫の混血らしい
若干茶色が混じっている

家に連れて帰ったが、さて餌をやってみると粒が大きすぎて
食べられそうにない、親が噛み砕いて食べさせていたのかも
しれない、水を加えて柔らかくしてみたが食べない
やむを得ずもう一度町まで引き返し、ミルクと粒の小さい餌を
買った、サイエンスダイエットという名前のカルカンに比べ10
倍位高い餌だった
こんどは食べた、ミルクも飲んだ、やっと一安心し、かごを家
がわりに8畳の部屋の隅に置き、私もその部屋で寝ることに
した、トイレは大きめの箱にペットショップで買った猫用の砂を
入れた、這いあがれないので横に雑誌を置いて踏み台にした
それからは、休日だけでなく平日も実家で寝泊まりするように
した、女房は休日だけ実家に来て家事をし、平日は帰る生活
になった、ちょうどその頃会社をリストラされたのも具合が良
かった、半年ほど遊んで暮らし、それから警備会社に就職した
が仕事を休んでいる間にみるみる大きくなっていった
最初は一回に20gづつ餌を3回に分けてくれていた、餌の袋
に体重と餌の量の計算式が書いてあったのである
会社に行かなくて良いので猫の世話に専念できた
猫の体重を量り、体重に応じた量の餌をあげるのである
100円ショップで1G単位で測れる小さいおもちゃの様な秤
を買った、こういう時は100円ショップは便利である
最初は体重数百グラムだったとおもう、一日3回で20gづつ
計60g食べさせると、3日で100g体重が増えた、うんちをし
た残りが肉になったと考えるとものすごい栄養変換率である
しかし、育ち盛りなので、すぐに食べきってしまう、食べたいだ
けくれる事にした、猫は犬と違いちょこちょこと少しずつ食べ
るらしい、夜中にも時々食べている音がしていた
母は心配そうだった、犬のことがあったからである
しかし、私は猫にまでダイエットさせるという発想がいやだった
自由にきままに、食べたいだけ食べ、寝たい時に寝て、外で
縄張り争いをやって、病気なって死ぬならそれはそれで太く
短い人生(猫生か?)であり何の悔いが残ろうか
むしろ家の中に閉じ込め、食べたい量が食べられず、いつも
欲求不満で長生きするよりも良いではないか
必ずしも自由とはいかなかった自分の人生への不満もあり、
せめて私が自分で決めねばならない「たま」の人生は、自由
に生きて欲しいと思ったのである
名前を「たま」としたのは、私が子供のころから何回も猫を飼
ったが、代々の名前が全て「たま」だったからである
私だけでなく、母もなじみがあり、親しみやすいと思ったので
ある、3匹いる時等は、「おおたま」「ちゅうたま」「こたま」だっ
た、そんなことにかまっていられないのと、前の猫が死ぬと、
ネズミ対策ですぐに次の猫を貰ってくるため、次の猫もついう
っかり前の猫と同じ名前で呼んでしまう
そのため、同じ名前になってしまうのが原因と思われる
「たま」には悲しいかな選択の自由はないのである
結果として「たま」はすさまじい勢いで成長し、半年で8Kgに
なった
人に聞いた話では「一貫目猫」と言って、約4Kgになるとお祝
いをしたそうであるが、そんなもんじゃなかった
自由に食べ、自由に遊び、時には人間にじゃれつき愛想を
ふりまき、好きなだけ成長させるとそうなるらしい
我が家の「たま」だけでなく、近所の猫も大きな猫が多く、「た
ま」よりも更に一回り大きい猫もたくさんいた
我が家の周辺は典型的な田舎であり、車も少なく、気候も
年間を通して穏やかで、猫にとっては良好な環境なのかもし
れない
<およそ半年後>上の写真で母が座っている椅子と同じ椅子
である、対比で大きさが判ると思う

<同じころのコタツの上で寝そべる様子>
母との対比で大きくなったのが判ると思う

これがじゃれたい盛りで、私に対してだけは全力で向ってく
るのである、ひじから先の腕は血だらけ傷だらけになった
とにかく産まれてからこれまで人間にいじめられた経験が無
いのである、家に訪問客があると、無警戒で近寄りじゃれつ
いた、家族だけでなく電気屋さんガス屋さん、近所の茶飲み
友達等みんなから可愛がられた、電気屋さんが入口の階段
の側でお札を数えていると、それを階段の中段から手を伸ば
してじゃれるのである、かわいいと思わない人はいないだろう
<二階に登る階段からじゃれる寸前の様子>

夜中暑いときはかごの外で寝て、夜でもばたばたと動き回り、
やがて階段を登れるまで成長すると二階や屋根裏を飛び回
る様になった
それまでネズミ取りをあちこち仕掛けてあったにもかかわらず
2〜3匹しか捕まらなかったネズミが全く音がしなくなった
母はもちろん喜んだ
良かった事はそれだけではない
息子は仕事がうまくいかず、暗く沈んだ日が多く、男同士でも
あり、ほとんど会話をしない日が続いていたが、猫には気を許
し、時々小さく笑い声がするようになった
ペットには心を癒すセラピーの効果があるというが本当だった
家族は外から帰ると、人間どうしでなくまず猫に挨拶するよう
になった
半年経って外に出すようになった、しかし、のほほんと育てた
せいか喧嘩は弱く、いつもけがをしていた
<我が家には猫穴といって外にいつでも出られように壁に穴が開いていた>
まだ半年ぐらいは外に出られない様に塞いでいた
壁の猫穴だけでなく、障子にも切り込みがいれてあり、短冊の様になっていて
いつでもどこの部屋へでも行き来できた
押し入れとかトイレ以外は全て「たま」の遊び場だった
百姓家ではどこも似たような工夫がしてあった
今よりも昔の方がネズミ対策として猫は重要だったと思われる

近所の飼いネコは8Kgある私の猫より更に2廻り位大きかっ
た、こんなのが私が知っているだけで3匹いた
私の家の周辺は猫の天国だったと思う
胸を噛まれ、化膿して穴があき瀕死の状態になったので医
者に診て貰った事もあった
外ではネズミだけでなくモグラ、蛇、雀、鳩等々色々な小動
物を捕まえてきては私に自慢した
これは餌がまずい事のアピールだと猫の心理学の本に書い
てあった、つまり俺位うまい餌を取ってこいという事らしい
二階に持って行って飽きるまで遊び、最後は食べていたよう
である、そんな猫を他の家族は嫌がったが私は頼もしく思っ
ていた、まさに自由にのびのびではないか、人に頼らなけれ
ば生きていけないひ弱な生き物でなく、例え私が今日いなく
なっても、これなら独立独歩で生きてゆける
そういう者同士がたまたま一つ屋根の下で一緒に生活する
これが私の考える理想である
猫と言うのは犬と違い人間に対して上下関係を求めない、
尊厳とでもいうのか気高い動物である
マイペースで私が強要しても気に食わないとそっぽを向く
寒くなり「たま」にとって初めての冬がやってきた
夜中は私の布団の中か母の布団の上が定番になった
母は重いと言っていやがった、私が母の布団の上から無理
やり連れてきて自分の布団に入れると自由にならないのが
嫌で、一度外に出てから、自力で入ってきた
貰って来た次の年に母が亡くなった、やっと新しい仲間が出
来、楽しそうにしていたのに残念だった
やがて一年がたったが、半年目からほとんど成長が止まり、
体重が増えなくなった
近所の猫を凌駕する大きさに育って欲しかったが、これが
「たま」の成人の大きさらしい
一年目の記念に誕生祝いに少量だが缶詰の高い餌を買っ
てやった、他の誕生日ではおもちゃを買った事もある
毎年いつもと違う餌を買って来て誕生祝いをしていたが、
決まった餌しか食べないので無駄になり、女房に呆れられ
ていた、女房の誕生祝いなどしたことがないので若干嫉妬
もあったのかもしれない
人間は誕生祝いをしてもらう人がいるし、いざとなれば自分
でやったっていいが、「たま」は孤独である、私だけが祝って
やれるただ一人の仲間なのだ
しかし「たま」にしてやれるのはせいぜいジャラす道具を買
うか、美味しいそうな餌を買うだけである
餌はどれも同じという訳でなく、一袋買うと飽きると思うので
別の餌にしていた、しかし、まずいと最初からほとんど食べ
ない、他に楽しみが無いのに餌がまずいのは最悪である
人間でいえばカレーライスを朝昼晩ずっと1月続け、次は
ハンバーグだけ1月続く、それが「たま」の餌なのだ
かといって少ししか食べないので、一度袋を開けたら中身
が湿気ないように早めに食べ終わりたい、それで連続して
同じ餌だけくれるようになる
最初は前述したようにサイエンスダイエットだったがその内
飽きて来たらしいので「猫元気」と言うのにしてみた
サイエンスダイエットは値段が高いというのもあった
カルカンとかミオとかいうのも試したが、皆食べが悪いが猫
元気だけは良く食べたので、この銘柄で色々な味を交互に
食べさせていた、確かにそれが一番売れていた
しばらくしてメーカーも気合が入ってきたのかパッケージを新
しくした
とたんに全く食べなくなった、あわてて別の銘柄を3種類買っ
て来て、比較的良く食べるキャネットというのに変えた
どうやら我が家の猫だけでなく、よその猫も同様らしく、猫元
気は店に置いてある量がみるみる減っていき、換わりに私の
買ったキャネットのスペースが増えて行った
2年ほど前についに猫元気のパッケージが新しくなったが既
に手遅れ、未だに元の勢いは取り戻せていない
推測だが、中国製だったので、安いが動物には毛嫌いされる
材料に変えてしまったのではあるまいか
例えば半分腐っている魚をまだ大丈夫と言ってまぜたとか、
バレなければ何でもやる中国流も動物の敏感な味覚には
通用しなかったのだと思う
新しいパッケージはこれも推測だが反省して元と同じぐらい
うまい材料に変更してあると思うが、我々ユーザーにとっては
自分ならまだしも大事なペットをいじめられたことへの恨みは
ぬぐいきれるものではない
おそらく猫元気はどんなにうまくしても永久に売れないだろう
そういう意味では人間相手よりもシビアなのである
「たま」はその後も元気に外を飛び回り、時にはけがをしながら
家族の一員としてマイペースで過ごしていた
体重は徐々に増え続け、大けがをした時に1Kg程減ったが、
後は年に200〜400g位ずつ増え、今年遂に1/100tを超
えた
<ふとんをたたむとその上で寝た>
目の前の障子の横幅が約90cmだから大きさが想像つくと思う
家族には無防備でお腹を見せて寝る

これは半年目に去勢をした事も原因の一部と思う
同じ男として忸怩(じくじ)たる思いはあったが、自宅の回り
に似たようなのがたくさんうろちょろするのは近所迷惑にな
る、かわいそうだが仕方がなかった
名前は「たま」だったが、
1年目を超えたあたりから私だけ
は「たまごん」と呼ぶようになった、女房は嫌がったが、じゃ
れる相手をしていると、もはや猫を相手にしている感じでは
ない、ドスンとぶつかり、がぶっと噛む、ほとんど猛獣である
重いので持ち上げようとするとよいしょと言う感じになる
ふざけてかまうと反撃して噛み付いてくるが、肉に穴があき
血が出る
去勢した後で「たま」はまずかったと気づいたが後の祭である
息子は「たまごん」のおかげで明るくなり、やがて結婚して、
家を出て、会社の近くに住むようになった
息子夫婦に子供が出来、時々連れて来た、孫が「たまごん」に
不用意に手を出したり、猫の毛を吸い込むと良くないので、「た
まごん」を手放すか考えたが、息子夫婦も容認してくれた
なにより、我が家を訪問した際の「たま」の扱いをみれば、手
放す事は言い出せるはずもなかったろうと思う
孫がよちよち歩きを始め、「たま」にちょっかいを出すように
なるとじっと我慢して孫に触らせ、やがて叩かれると、反撃
せずに逃げ出した、孫がどういう存在なのか「たま」なりに判
っているようだった
何処の家でも飼いネコは利口だと自慢するが、我が家の猫も
利口だった
餌はは与えられたものしか食べず、さざえさんの野良猫の様
に魚を取ることはせず、魚を焼いても知らん顔していた
昼間はじっと寝ていて、夜になると外に散歩に行き、自宅の
前の畑でうんちをして帰ってくる
どの猫も習性として糞やおしっこの臭いがしない様に、必死
に砂をかけて隠す、またお尻からも臭いはしない
森のなかでじっと木の上で獲物を待つには臭いは禁物である
従って犬よりも糞の世話は手間がかからない
雨季には家の中のトイレを使う事もあったが、それ以外の場
所におしっこや糞をした事は一度もない
雨で濡れて帰ると体をふくように催促し、一日に何回も濡れる
という事はしない、家族がいないときは濡れないようにして
いたようである
女房が自分の都合で障子を閉めたり、通路や餌の置き場を
変えても、問題なく対応していた、自分の行きたい場所へ一
旦、回り道していくというのは人間の2〜3歳の知能指数が
必要だと聞いたことがある
今年になり季節が5月になり暑い日が続くようになり、食が細
ってきたのもそのせいだと思っていた
6月になるとファラリアという病原菌の予防の薬を貰いに行く
のだが、ついでに最近少しびっこを引くので念のために見て
貰った
先生は骨折や外傷はないので、喧嘩して病原菌が入ったの
だろうという、念のため注射を打ってくれた
今思うとそれが良くなかったのだと思う
それまで細くなったとはいえ食べていたのが全く食べなくなっ
た、3日目に気が付いたのだが、一日様子を見て4日目に
連れて行こうとしたら、病院の定休日だった、しまったと思った
が止むを得ず5日目にいったら冒頭の手遅れと言うご宣託だ
った
先生としては自分のせいではないという自己弁護もあったと
思うが、血液を検査して結果を見せてくれた
こちらは素人なのでそんな事はどうでもよかった
ただどうすれば良かったのかという思いだけが後悔として
ぐるぐると頭の中を回った
先生は入院させて点滴をすれば、今よりは悪くならないという
しかし、良くはならない、今後も毎日点滴と薬を飲んで行くしか
ないのだという
そうでなくても今まで自由気ままにさせてきた、年に一回病院に
見せに来る時はニャアニャアと恥ずかしくなる位いやがった
それを、瀕死の状態の「たま」に毎日しろというのは辛かった
その位ならいっそのこと自分が「たま」を絞め殺して楽にしてや
りたい
その時はそう思った、西部劇でガンマンがけがをした馬を拳銃
で殺す場面が出てくるが、同じ気持ちである
家に帰り、いつも私が座るソファーに「たま」が登ってじっとし
ている
元気な時なら無理やり私が割り込み、一緒に座るのだが、じっと
元気なく返事もせずに横たわる姿は痛ましい
私は隣にある座り心地の悪いいすで我慢してテレビを見た
その内、テレビはうるさいと女房が言い出し、ただじっと薄暗
い部屋で、一日中何もしないで「たま」の側にいる日が何日か
続いた
「たま」は元気な時もそうだったがじっと寝ている
夜になるとよたよたとおきてトイレに行く
違うのは餌を全く食べない事である、「たま」の辛さと何もでき
ない自分を責めながら昼も夜もただじっとしていた
買い物や散歩に行く時は夫婦のどちらかが側にいるようにした
時々「たま」をなでてやった、目を細めてしっぽを振るのがいじ
らしかった
「たま」がじっと寝ているそばで食事をするのが申し訳ないと思
ったが食べなければこちらもまいってしまう
二人で申し訳なさそうに静かに食べた
夕方ゆっくりと起き出し、外に行くという、玄関を開けてやると、
庭にべたっと寝て気持ちよさそうにしている
中に入って玄関を開けたままにして時々見ていたら、女房が
いなくなったという、二人で探した、もしかしたらと思い車の下を
覗いたら座っていた
必死に引き出し家の中に入れた、後で考えると、そっとしておく
べきだったかもいれない
猫は死期が近ずくと家族の前から姿を消す習性がある
もしかしたらあれがそのつもりだったのかもしれない
申し訳ない事をしたと思った、引き取ってから今まで私に出来る
範囲で自由にさせてきた、予防注射の時に無理やりかごに入れ
たのと、雨が降っている時に外に出たがるのをやめさせたぐらい
しか記憶が無い
むりやり布団の中に入れた事はあったが、半分遊びである
だから布団から出るときは留めた事はなかった
それがこんな大事な時に「たま」の自由にさせてやれなかった
それから一日「たま」はもとどおり私の椅子の上でじっとしていた
幸いと言えばいいのか、少しだけなら水を飲めるようである
夜中に二階で寝ている私の傍でニャアと啼いた時は驚いた
まさかまだ二階に上がれる元気があるとは思っていなかった
自分に最後のあいさつに来たのと思い、そのままそっとしておいた
女房が一階からざぶとんと水とトイレを持ってきた
私は「たま」がじっと寝そべっている傍に腰かけ、1時間ほど座っ
ていた
上がってきてくれた猫に対する仁義のお返しのつもりである
不思議な事に涙が出ない、シンと静まりかえった二階の踊り場
で「たま」の横に腰掛けていると、思い出がよみがえってきた
皆楽しい思い出だけだった
よほど疲れたのであろう、「たま」はしばらく身動きせずじっとしていた
やがて明るんできて少しだけ気温が上がると、階段の側から、以前
に良く寝ころんでいた2階奥の運動マットの場所まで移動した
次の日の夕方、女房が見かねて「たま」を抱いて下におろした
季節は夏なので昼間は暑いのである、特に二階は熱気がたまる
「たま」は再び私のお気入りのソファーに這い上がり寝た
その日の夜、外に行っておしっこを畑にしたらしい
そのままどこかへ行くかと見ていたらまた中へ入ってきた
どうやら、私達に見守られて死ぬと覚悟を決めたのかもしれない
日一日と弱っていく「たま」、なにも出来ずに一日中傍にいる私と
女房、時々様子を見に行くが、横に寝そべって全く動かず小さく
息をしている
<ぐったりとして身動きをしない「たま」>
二階の爪を研ぐのにお気に入りのカーペットで動けずにいる
私が側にいるので目を開けている、なでると小さな声で鳴く
だいぶ毛並みが悪くなってきた

「たま」はその後も食事を全くとらないまま、水を飲むが飲みすぎると
吐いてしまい、相変わらずじっと動かず、しかし驚くほど長く生きた
6月初めに医者に連れていって以来、7月11日までなんと40日間
生きた
幸いその間で暑い日は少なくずっと雨だったので「たま」には良かった
人間でも断食と言ってわざと食事を取らない事があるが、やはり一ヶ月
位続けるらしい、しかし猫の体では一カ月と言うのは相当長いので
はないか
それでもよれよれしながらおしっこはトイレにした
最後の2日間は床に漏らした、ペット用の下に敷くマットを買ってきたが
嫌がり床に寝ている、マットの上にタオルを敷いたらようやくその上で
寝た
人間ならとっくに寝た切りで下の世話は誰かのお世話になる所を、最後
のぎりぎりまで自力でやろうとするのは頭が下がった
最後は目やにがたまり目が良く見えない中での大往生だった
最後の日も朝にはかろうじてあいさつを返したが、昼ごろには呼吸だ
けになり、更に痙攣を繰り返すようになり、とうとう動かなくなった
女房はしばらく涙声で話していた
私はようやく「たま」の痛ましい姿を見なくて済む安ど感が悲しさに
勝っていた、40日間本当につらかった
そのままにしておくわけにはいかない、冷静に考える自分がいた
飼い主としての最後の仕事が残っている
我が家は小さいが庭の南側を畑にしてある、その隅に墓を作る事に
した
田舎では三本辻の真ん中に浅く埋める習わしだが、今は舗装が進み
埋められる場所が無い
どこかの家で庭に犬のお墓を作ってあるのを見た事があり、以前から
たまのお墓は畑の隅にしようと思っていた
私と妻より先に逝ってくれたので、こうした配慮を最後までしてやれる
のがせめてもの慰めだった
「たま」を浅く掘った穴に埋葬し、盛り上げた土の上に石をのせ、即席
で作った塔婆を立て、線香をあげている間札所巡りでいつしか覚えた
般若心経と真言、南無大師遍照金剛を一通り唱えた
お墓の横には女房が花を植えた、花が長い事咲く種類にした
後日思いついて近くの神社におまいりに行った
人間ならばお寺だろうが、考えて見ると神社にはお稲荷さんや狛犬、
四神(朱雀、玄武、青龍、白虎)など動物の神様が大勢祀られている
古来から八百万の神々という言葉通り、色々な神様がいる
私の住む村は玉村といい、神社は古来より「玉の郷の八幡様」と言わ
れてきたそうである
正に「たま」のための神社と思い、「たま」が天国に速やかに行けるよ
うにお祈りしたのである、そして私たちが死ぬまでの短い間でいいから
この神社のいっかくに神として降臨し、私たちを見守ってほしいと願った
わたしと女房はこの先どちらが先に死ぬのか判らないが、あの世で先
に待っててくれ
それまでは猫の神様になって我々を見守っていてくれ、あの世でもまた
一緒に暮せるといいな、また遊んでくれるかな
「たま」・・・・・。
「たまごん」・・・・。
楽しかったよ
ありがとう
さようなら
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