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平和な時に戦争の出来事を評価するな

中国、韓国が歴史認識問題として我が国に戦争の際に従軍慰安婦を強制
したことを謝罪するように求めている
我が国の偉い人が戦争中の出来事は仕方が無いというような言い方をした
ものだから余計に火をつけてえらい剣幕になっている
言い争いというのはちょっとでも譲歩したり、言い訳がましい事をいうと余計
に追求が厳しくなるという傾向がある
そのため政府も謝るわけにもいかず、かといっていう事をきいてくれない状
況に困っているようである
単に謝罪しただけでは済まない事は当たり前だが、一歩譲ると我が国の主
権にまで入り込んできかねない態度が不安を感じる
それは靖国神社参拝で明らかである
靖国神社には戦犯も確かに眠っているが、大勢の戦没者の霊を祀っている
首相は日本の代表なのだからとして靖国神社に参拝するのは当然なのである
広島にも長崎にも必ずいくのと同じである
これに異を挟むのは日本人から見ると違和感を感じるのは当然である
確かに従軍慰安婦というのは平和な状態の今の感覚ならば日本人でも間違
っているということに全員賛成するであろう
しかし戦争は人を狂わせるというが、明日は死ぬかもしれないという状態で
正常な考え方をするのは逆に狂気に近い感覚を要求される
東大安田講堂事件というのを覚えている方は多いと思う
私は東大ではないが大学に入学した1年目に座りこみで先輩達が警官隊に
強制的に排除させられたのを目の当たりにしたことがある
先輩達は主に寮で仲間達と意見を闘わせ、今の世の中は自分たちで変えな
ければならないという考え方だったように思う
私も半ば強制的に渦に巻き込まれ、授業を受けられない状態が続いた
正直言って私には先輩たちの考えが理解できなかったが、彼らは「愚かな大
衆」は我々が先導しなければならないと言っていたので、私も愚かな大衆の
一人だったようである
私の村は自民党の大物代議士の出身地でコネや恩義、見返りといった論理で
選挙は動くものだというのが常識であり、そうして当選した代議士によって国が
動いていくと思っていた、少なくとも学生がどう頑張って革命を起こしても、ほ
とんどの国民は今まで通り野菜を作ったり、商売をしたりすることを続けようと
する、それを妨害する輩には抵抗するはずである
残念ながら戦争は起きてしまったが、戦争の最中さえ商売や仕事は続けてい
たのである
そんなふうに思っていた私にとって、学生運動は非常に迷惑なものであったが
止むを得ず彼らの話だけは聞いていた、聞こえてきてしまっていた
ある日授業の終わった教室に数人の先輩がやってきて、我々の活動に参加し
ろという、私と数人の人達は教室を出ようとしたら停められた
お前たちは改革を起こす気はないのか、このままでいいと思っているのか
となじられたが、押しのけて次の授業を受けに行ったが2〜3人だった
その後数日は私は周囲の冷たい目線を感じながら授業を受ける羽目になった
私はスパイ扱いされるようになった、警察のイヌと呼ばれた
しかし、私は何をしたのか、何もしなかった事が罪になるのか
もしそれが当り前の世の中ならその世の中が間違っていると思った
かといって彼らに面と向かって抵抗しようものなら多勢に無勢でもっと偉い目に
会う事は間違いない
私の様に活動に参加しない人達はノンポリと呼ばれ、意気地無し扱いするのが
学生たちの常識であった
幸い学生運動は数カ月で尻すぼみになり、インフルエンザが収まるように消え
てしまった、目が血走っていた先輩たちは突然覇気が無くなり、黙って授業を
受け、むしろ私よりもずっとまじめに勤めあげていた
私は変らずのんべんだらりと授業を受け最低の成績だった、先輩よりも悪い
成績だった
彼らは優秀だったのである
今思ってもぞっとする、優秀な人間が過激な事を考え、周囲を洗脳して行動する
と、無知蒙昧な連中は尻馬に乗って何をしでかすか判らないのである
想像してほしい、警察官が何十人も警棒を持って待ち構えている所へ平常心の
あなたが鉄棒を振りまわしながら駆け寄っていく所を・・・
これは正しい行動ですか
違うにきまっている、しかし大学を受かった優秀なはずの人達がそれをやったのだ
戦争というのはそんなもんじゃないはずだ、もっともっと狂気の中で暮さざるを得
ないのだと容易に想像が付く
あのとき鉄棒や火炎瓶を持って警官隊に立ち向かっていった人達が貴方の周囲
に100人に一人ぐらいの割合で含まれている
その人たちに「あの時やった事を謝罪せよ」といったらどうなるか
戦争中の正しい事は、ほとんど平和な時の間違いである
人間性の尊重とは戦争時と平和時で全く違う判断基準になる
ラバウルでゼロ戦の英雄は平和時ではガソリンを無駄遣いして人を殺しまくった
悪魔になるのである
靖国神社の日本人にとっての英霊は、殺された国の人達からは殺人鬼ぐらいでは
済まない恐ろしい存在なのである
だからといって今の平和な時にそれをいって何になる
殺さなければ殺される、自分が敵を殺す事が日本のためだと信じて、生きるため
に殺しまくった人をどうして責められよう

考えてみると北朝鮮やイスラム過激派の精神状態は戦争状態である事が覗い知れる
彼らの言動を見れば明らかである、我々平和な状態から見れば全く異常である
しかし彼らの立場に立って考えたらどうなるのだろう
我々はオオカミやライオンでなく豚や鶏に見えているに違いない
多少の抵抗はしても所詮は彼らにとっては餌なのである
我々は豚が命乞いして嫌がっても容赦なく殺し、食べるように彼らもそう思っているに
違いない、むしろ多少抵抗してくれた方が狩りの楽しみが増えて食事がうまいと思って
いるに違いない
アメリカの高圧的態度を非難する日本人がいるが、私はむしろそういう態度で戦争
待ってましたとやらないと餌食にされそうで怖い
アメリカは拳銃所持を認められている国である
彼らだけが持ちうる感覚なのではないと思う
暴力には暴力でどんどんエスカレートして、常に緊張状態でないと逆に不安に感じる
これが世界の常識なのではないか


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