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遊びと文化について
趣味として、囲碁を打ったり、絵を描いたりしながら、反面忙しい思いをして
仕事をし、そのギャップに思うのは、遊んでいる時は暇だなあと言うことである
何を今さら、暇だから遊べるのだろうと言うなかれ
仕事をし、生活に十分なお金を頂いているからこそ、いや余るほど戴けるから
こそ、余ったお金で遊べるのである、日本は豊かだと思う
思えば遊びとは無駄な事に時間とお金を使う事と思いいたった
本人にとってどんなに有意義に感じても、興味のない人にとっては全く無駄な
事である、これは間違いない
ただし、世界中に何人か協賛者がいて似たような事をやっている
そして遊びの究極の姿、高尚な姿が文化だと思うのである
例えば、楽器で音楽を演奏する場合、素人が適当に一人でやれば遊びである
しかし遊びを繰り返し、その内ファンができ、聞きたいと言う人が出てくれば、
芸術と呼べるかも知れない
更にお金を払ってでも聞きたい、定期的に演奏してほしいということになれば
商売になる
更にそういう人が集まって、演奏家の集団と聞く人の集団が発生した時に、
文化となるのではないか
これに時間の経過が加わり、歴史となった時、文化遺産となる
自分の今やっている事は他の人もやっている、しかしバラバラである
だから遊びだが、どこかのサークルにでも入れば立派な文化人となる
こう考えると文化には束縛の機能もあるように思われる
束縛されたら遊びではなくなる、あくまでも自由でなくてはならない
そのかわり誰からも認められない、知られない
もし、私の趣味をHPに載せ、束縛を受ける事になったらどうしよう
まっ、いいか、その時は「遊び」を止めればいい
このホームページで幾つか私の遊びを紹介している
言い訳がましいが「すばらしい」と言われたら遊びではない
金を払ってでも私の作品が欲しいというような事があっては遊びで無くなるのである
まあそんなことは無いけどね
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