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天国とは
人は死ぬと生前良い行いをした人は天国へ、悪い行いをした人は地獄へ行く
子供の頃に祖母にこんな事を言われ、くれぐれも悪い事はしないようにと言われた
似たような経験を皆お持ちの事と思う、ところが世の中に出てみると、良い事だけを
して生きていくことが実に難しく感じる
表面上は取り繕うのだが、妬み、恨み、愚痴、暴力、嘘、更には窃盗さえも経験する
多分ばれない、ばれても訴えるほどではない、見られていないから大丈夫・・・
そう思って暮らしてきた、ある日テレビの番組で、偉いお坊さんが大勢の人を相手に
話をしているのが放映された、法話とか説教というらしい
聞いていて愕然とした、私にとっては、日頃の疑問の答えだったのである
「地獄とはどんなところか、目の前においしいごちそうが並べられ、その前に2人づつ
向かい合って二列に並んで座らされる、片方の手は体に縛られ、もう片方の手には
一メートル程の長い箸がぐるぐる巻きに縛られて先端で料理がつまめるように結ば
れる、そうして箸を使って料理を食べろと言われる、言われなくても地獄の亡者達は
意地汚いので、すぐに食べようとする、しかし、箸が長く料理はつまめるのだが、自分
の口に持ってくる事が出来ない、全員が食べたいのに食べられず、もがき苦しむのが
餓鬼地獄である
一方で、天国とはどんなところか、目の前においしいごちそうが並べられ、その前に
2人づつ向かい合って二列に並んで座らされる、片方の手は体に縛られ、もう片方の
手には一メートル程の長い箸がぐるぐる巻きに縛られて先端で料理がつまめるように
結ばれる、そうして箸を使って料理を食べろと言われる、天国の人達は前に座った
人が食べられないのを見て、自分の料理を前の人に食べさせてやろうとする、すると
箸が長いので具合良く相手の口に届く、相手もそれではお返しにと自分の口に運んで
くれる、そうして和やかに談笑しながら料理をたらふく食べている」
確かこんな内容だったと思う
良い事をすると天国に行けるのではなく、今生きているこの世の中が天国でもあり、
地獄でもあるのだ、悪い事をするから、人を陥れたり、妬んだりするから、逆に自分も
同じ目にあう、これが現世地獄である
困っていたら助けてあげる、人を敬う、欲しいと思う物をあげる、もちろん見返りなしで
そうすると自分も助けて貰って幸せになれる
実際は天国と地獄は現世の中で混在しているので、天国で暮す人は地獄の亡者に食
い物にされるかもしれない、それでも地獄で暮らすよりはいいと善事を続けるべきである
自分はなぜ善事を行うのか、なぜ悪い事すると気持ちが落ち込むのか
私の頭の中でもやもやしていた事が、すっきりと整理された気がした
日本人は現世の天国で暮らす人が多い国だと思う
衣食足りて礼節を知ると孔子にあるように、豊かである事が一因と思うが、武士道や
聖徳太子の言う和をもって尊しとなす思想が根底にあると思う
名前は聞きそびれたが、さすがは偉いお坊さんである、こういう人が頑張ってくれるお
かげで、日本は良い国でいられるのだと思った
周囲は悪くなっていっても、自分だけは染まらずに良い人間のままでいたい
自分もその一人でいたい、既に汚れてしまっているが、一部分だけでも、時々でもいい
から良い人でいたい、天国で暮らしたい
自信を持ってそう言えるようになった
おれおれ詐欺を働く輩は比較的若い人が手先で捕まる事が多い
詐欺にあったおばあちゃんが、お金を銀行に振り込む時、たとえ自分の本当の息子で
なくてもいい、これで救えるのであればといっているのを聞いた事がある
地獄の亡者である詐欺犯は、天国に住むおばあちゃんから金を得たかもしれないが、
そのおかげでおばあちゃんは天国の更に一歩高みに行く手助けを得た
その分、詐欺を働いた若者は更に沈んだのである
良い事をすると心が晴れ晴れとし、悪い事をすると後ろめたい気持ちになる
もし私の様にそう思う人がいたら、それは幼い頃に道徳で教わったからではなく、自分
の感性が天国にいたいと叫んでいるのだ
まずいものでなくおいしいものを食べたいというのと同じ感覚で、地獄でなく天国が住み
やすいと心が訴えるのである
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