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神様と仏様

札所巡りをしていて思うのは、お寺と神社の関係である
お寺の近くに神社がある事が多い、時にはお寺の裏にお稲荷さんがあったりする
江戸時代は渾然一体となっていたらしい、例えば天照大神と大日如来は同じ神と
されていた等である
しかし、明治になって宗教と神様を分離するという法律が出来たらしい
背景には天皇家が神様の子孫であるとするいわゆる神格化があったようである
結果として、お寺と神社が並立していた場合はどちらかを選択する事となり、もう
一方が廃れることとなった、お守りをする人がいなくなるのだからやむを得ない
話を聞いた和尚さんの中には、時々神主をしているという方もいたが、別格であ
ろう、地域の人が維持管理をするにしても、昔ほど力を入れる事が出来なくなっ
ている事が推測される
板東札所25番の大御堂のように並んで立っていて、どちらも栄えているケースは
まれであろう
笠間稲荷の裏に札所23番
佐白山正福寺があるが、どちらかといえばひっそりと
している、板東札所という訪れる人の多い名所だから救われている、まだ和尚さん
がいるからいいので、無人のお寺になってしまった所も多い
反対に立派なお寺の裏に回ると、朽ち果てた社がある場合も見受けられた
日本人は宗教に関してはいい加減な民族だと言われる、結婚式は神式で葬式は
仏教ということからそう言われるのだろう
多神教の場合はどこの国でもそうなのではないだろうか
今までの八百万の神々に新しく仏教の神様も加わってみんなで守ってくれる
漠然とそう思えるのではないか、少なくとも私はそうである
唯一絶対の神というのはむしろ考えにくい
そんな中へキリスト教もイスラム教も入り込んで、布教活動をしているが、他の国と
違うのは、その勢力が拡大していかない事ではないか
今さら仏教と神教を一緒でもいいよといってももう朽ちてしまった神社のように人の
心は一体にはならない、江戸時代の様に生活に根差した宗教の維持管理をするの
は無理である
推測だが、今と違い娯楽の少なかった時代には、何かにつけて祭りや宗教行事をする
事が娯楽だったのではないか
お伊勢参りや金毘羅参りは物見遊山の口実だった事が伺える
村にも正月やお盆だけでなく、お稲荷祭りや村祭り、お彼岸に天神祭り等が今でも
風習として残っている所がある
だから、神教も仏教も大事にされた、社や寺の修復もされたのであろう
結婚や葬式だけでなく、娯楽のネタが無くなってしまうのは寂しいからである
いわば生活に密着したものであったと思われる
お寺も単に檀家頼りなのでなく、自分の領地を小作人を使って経営し、自力で維持
管理する能力があったようである
そうでなければ、あのような金を使った豪勢な建物や大きな大仏様等の造成や維持
管理は出来なかったと思う
ある程度力のある檀家がパトロンとして存在していたとしても、何百年と続くには不
十分であることは明白だからだ
その意味で小作人がいなくなった今は、神社とお寺にとって存続の危機を迎えた時代
と言えるのではないか
所詮他人事としても、行く末が気になる、ずっと札所巡りの場所として存続してほしい
と願うのは身勝手だが、今回ご朱印を書いてもらうお返しに300円を支払っているが
存続の一助に参加できたことを嬉しく思っている
別のページで書いた事だが、今の世知辛いご時世で、精神の浄化を促す活動をして
いるひとは希少である
神社の神主やお寺の和尚さんはその数少ない一人と思う
自分が住みやすい国にするためには、神社やお寺の存続にもっと投資をするべきで
はないかと最近は考えるようになった

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