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批判するよりされる側になれ
昔、一億総評論家という言葉が流行った事がある
テレビが普及しだした頃、情報が氾濫することを嘆いた記事の中だったように
記憶している
この傾向は今も続いているどころかますます助長されているように感じる
何か目立つ事があると、必ずそれについて批判の意見が出される
誉められることはめったにない
最近の例では、冬季オリンピックのスケート選手が金メダルを期待されながら
とれなかったことへの批判があった
かわいそうという気持ちと、本人がけなげに悔しさよりも前向きな発言をしたため
これをたたくと今度は自分がたたかれると思ったのか、私が予想したよりも攻撃的
意見が少なかったように思う
しかし、相変わらず何故取れなかったのか、その原因はとか、いろいろ言う人がいた
マスコミが騒ぎ過ぎたのが原因と、マスコミを使って批判する意見が述べられていた
全く進歩の無い意見を毎度毎度良く言えるものだ
当たり障りがないというか、一般論の域を出ないというか、深みが無いというか
とにかく何か言わないと済まされない人達が存在し、何かをとりあえず言っている
批判されるのは誰だっていやだ、人の嫌がる事をやらなければいいのにと思う
批判する人は自分の価値を下げるだけだ
批判される人はどうだろう、必死にやった結果うまくいかなかった
誉められるはずはない、本人は前向きに考えたいのに、周囲は結果だけをしつこく
本人に問う
こんな嫌な事は無いと思う
なぜ、良い事をやろうとしたのにけなされなければいけないのか
けなされた側は本当にめげる、二度とやりたくないと思った事もある
でも私の場合は思い直した
これをやれたのは自分だけなのである、結果は失敗だったが、やったことの価値が
落ちるのではない、より価値が高められなかっただけなのである
世界一実力のある人が金メダルを取れなかったからと言って、実力が落ちた訳ではない
止めてしまうと実力が低下する、継続はするべきである
もしチャンスがあれば、もう一度挑戦する、それができるのは実力を維持している
自分だけなのである
そう思った瞬間、周囲の批判が雑音に思えて来た
同時に自分の将来を思ってくれている、本当の励ましの声が聞こえて来た
やらなければ成果はゼロ、やればたとえ失敗でも何かが得られる
つまりマイナスはないのだ
お前がやらないで誰が出来る、成功するまでがんばれ・・・
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