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分散と集中

私がコンピュータに触れたのは大学4年の時だった
当時のスペックはメモリー8KB、「ドラム式」ディスク8MB、入力は紙テープ
とキーボード、出力は8桁の光電管とタイプライター式プリンターで既に中古だった
そこへ新しいコンピュータが入る事になり、入力は紙カードになった、更に端末機
が3台あった、画面でプログラムをみるという経験を初めてした
会社に入り、2年してパソコンを買った、メモリーが64KB、音楽用カセットテープ
を補助記憶にしていた、当時はパソコンでなくマイコンと呼んでいた
IBMのコンピュータルーム構想と言う言葉を聞いたのはこの頃だったと思う
コンピュータは非常に高価なものなので、中心に一台設置し、端末機を放射状に
つなぎみんなで使う、OSも複数のユーザーのアサインを受け付け並列処理する
ように設計されていた
入社してからコンピュータの勉強をするうちにWS(ワークステーション)とかオフ
コンという用語が徐々に広まってきた
高価なコンピュータを中央に置きみんなで使うのでなく、安いコンピュータを各人で
使い、データはネットワークでやりとりする
これをワークステーション構想というらしい、世の中はじょじょにWS構想型になって
いくというのが主張であった
しかし、しばらくするとサーバークライアント型というのが主流になった
中央にデータベースを置き、それをみんなで共同利用する形態だった
無我夢中でやっていた現役時代からコンピュータ担当を外れて暫くして、振りかえっ
て見ると、コンピュータの能力とネットワークの能力、それから何をデータの中心と
するかで分散型と集中型を交互に繰り返してきたという事に思い到った
最初のコンピュータの使い方は計算が主で、プログラムがデータの中心だった
すぐに事務計算のニーズが発生し、いわゆる伝票形式のデータのやり取り用の使い
方が発生した、これはデータの性格上遠方で発生したデータの伝送のニーズが強く
この辺りからデータ量とネットワークの形態の萌芽があった様に思う
WSは高度な技術計算を中央のコンピュ−タ室にお伺いを立てずに自由にやりたい
というニーズから発生し、どちらかと言えばデータ量よりも、計算速度重視のニーズ
だった
オフコンは逆に小規模でローカルな事務計算のニーズに応えるものだった
私はパソコンを自宅で使用しながら、会社では大型コンピュータのお守をしていた
極端なギャップを経験できたと言える
だからコンピュータのありたい姿と言うのは、中央型でもパソコン型でもなく、もっと
自由なものでなければならないと感じていた
カッコよく言えば、現状からの積み上げ型の発想でなく、理想と現実を比較し、理想は
無理なので、やむを得ず不十分な汎用型や個人用パソコンをしぶしぶ購入する
上から目線の発想でコンピュータを使えたのである
なにしろ何億円もするコンピュータを使用し、会社の金で勉強する事が許されている
商売なので、非常に贅沢な環境から発想できるのである
たまたま今現在出来るようになった技術を中心に据えてそれが最善であるかのよう
に大騒ぎし、新しい技術が出るとまたまたそれを使わないのは時代遅れであるかの
ごとく騒ぐ、コンピュータメーカーに踊らされている人達を横目に冷静にコンピュータ
と付きあってこれたのは幸運だと思っている
パソコンにしても、友人の中には家が建つくらいつぎ込んだ人もいるが私は最初の
一台を含め、全部で3台購入しただけだった、未だにインターネットにはつなぎたく
ないと思っている
インターネットはそれ自体が悪いのではないが、悪意の情報が満ち満ちている
例えて言えば、図書館に行くのに抱きつきスリがうようよ居る繁華街を通らずに行け
ないような感じと思っている
子供に有害なだけでなく大人にとっても使う気が無くなる大きな要因である
情報に対し、規制が無いという事の素晴らしさを強調した結果がこれかよ!! 
と思わずにはおられない、業界の人達は今の現状をなんとも思っていないのだろうか
昔の現役としては見ただけで恥ずかしくて仕方がない
だから、未だにネット接続する気になれないのである
こんなようなら、昔懐かしい集中処理型にした方がはるかにましだと思える
京都に一見さんお断りという風習があるらしいが、ネットには生活の知恵と言ったもの
が見当たらない
単に規制を強化するという方法ではモグラたたきに終わる
悪意に満ちた情報があってもかまわないし、見たければ見ればいい、しかしその気の
無い時には見ずに済むような住み分けの工夫が求められている
例えば今日の目的を最初に「工場関係」と言うように入れると、エロ画像は出ないとか
「国内観光」と入れると、仕事の関係は出てこないというような絞り込みは出来ないの
だろうか
掲示板等で、相手の事を侮辱したような文章を見かけるが、これも本日の気分で、
「やや紳士的」とか「腹が立つ」とかいれるとそんな気分の文書だけが見えるという位の
技術はすでに出来ているはずである
ネット接続で飯を食っている業界関係者は商売繁盛の戦略としてその位の事は思い
浮かべて欲しいと願うのは私だけだろうか

話が反れてしまったが、現在は分散処理の真っただ中である、これが最終形と思って
いる人も多いと思う
しかし私の思う理想からは程遠い、100満点でまだ12〜3点といったレベルである
あと2〜3回分散と集中の紆余曲折を経て、なんとか使い物になるコンピュータが世に
出てくると思っている



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私の思うコンピュータの理想形の一部

・爪より小さい、体に密着しており風呂に入ったぐらいでは取れない
・入力や出力の形態が感覚的(例えば将棋に勝ちたいと思ったら次の手が見える)
・世界中の情報が同じく感覚的に判る(たしかフランスの市場で大きなきゅうりを売って
 いたかなと思うと、フランスの市場のきゅうり売り場の画像が出て、店の人と日本語で
 話が出来る)

アップルは比較的ましだが、コンピュータ関係者たる者、品物でなく夢を売るんだ位の
気概をもって新製品を考えて欲しい
上は私の例だが私の場合はまだ物体に捉われていて、創造力が乏しい
現代科学でさえもっと先を行っている部分がある
2050年には人間の脳をコンピュータに移植できるらしい、あと30年ほど先である
それに備えたソフト開発は既に始めてもいいと思う
例えば食事やセックスの感覚が得られるソフト、脳がコンピュータに入ってしまっても
人間の根源的な欲望が消えなかった場合の対策は必要である
ハードよりもソフトの進化が遅い傾向にあるのでソフト開発は今からやっておいた方が良い