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企画の功罪

企画書が今の様に社内でも活発に使用されるようになった事に
私は個人的に憤り(いきどおり)を感じている
企画書の繁栄はパソコンの表現力の進化と無縁ではない
どちらが先でどちらが後なのか、実際に見てきた立場で言えば、
相互に利用しあって発展してきたように思う
またプリンタでパソコンの画像をそのまま印刷でき、更にカラーが
安く印刷できるようになり、高速化を経て、遂には印刷物をプロジェ
クターで映すのでなく、パソコンから直接大写しできるようになって、
ようやくやりたい事が完成したように思う
一方でネットワークの高速化で遠隔地と同一画面を見ながら話が
出来るようになり、距離の壁を克服できたことも画期的であった
しかし、冷静に「だから何なの」という目で見ると、内容が進歩したり、
話がより深く広くできるようになったわけではない事に気が付く
所詮は人間のレベルに関しては進歩していない事がはっきりし、
良い部分よりも悪い部分の方が目立って仕方がないのである
悪い部分の一つ目は、一度に大勢の人間を相手に説明することで
ある
理科系の社長と文科系の専務の両方の最低レベルで企画書を作ら
ないとどちらかからやり直し指示が出る
そうかといって、そのレベルでは本来決定してほしい問題点の説明
にならない場合がある
判りやすく言うと、意思決定してほしい内容が円周率を3にするか
3.14にするかという問題だったとすると、足し算と引き算しか判ら
ない(頭が固くなり理解しようとしない?)営業系専務が同席されては
むしろ困るのである
しかも、やたらと言い回しや端ばしの言葉にこだわったりする
そういう場では最低レベルとして、小学生には円周率は簡単にして
その分、別の事を教えるべきであるというような、一面的な部分しか
説明できない
3にしてしまうとある程度の多角形の面積と同じになってしまい、円の
面積が最大であるという証明に支障が出るといったマイナス部分は
内容が理解されないという理由で説明が省略され、結果として正しく
そしてより巧妙な解決策が得られない可能性が出てくる
これはTPPの問題など我々の身近な所でも顕在化している
TPPの良い点と悪い点を自分の理解できない所まで克明に検討され
た資料を見て、いわゆる日本を代表する知識人がTPPを良しといって
も自分の浅はかな了見で、農家の人を見捨てるのかといった反対意
見を述べないと気が済まない(実際TPPで本当に困るのは、日本の
農家が外国基準の農薬で食料を作り、それを食べざるを得なくなる
一般庶民だと思うのだが・・・、農家では今でも自分で食べる分は無
農薬で作り、売り物には農薬を使って見栄えのいいものを作っている)
自分の意見に反対されると、もっと詳しく教えて貰わないと賛成できな
いと切り札を出す
正に上記の様に足し算しか判らない人に円周率を説明するべきという
ような事を平然と言ってのけ、当然の様な顔をしている
説明できないと、それみろ説明できないのになぜ賛成するんだと勝ち
誇る
これが企画書の功罪である
つまり、「この人には説明できない」という場合は、説明不要としないと
この企画書文化?は解決しない
昔から馬の耳に念仏というではないか
念仏を企画書に変えても、馬には判らない、もっとうまい紙を持ってこい
と言いながら食べられてしまうだけである
企画書を見る側も、自分に判らないと思ったら説明しなくても良い、思い
切ってやりなさいという位の器量が欲しい
まあ、パソコン屋さんはパソコンが売れず困るかもしれないが・・・
思考をより高度に進化させるようなツールを新たに創造し商売転化を
考えるべきではないか
企画書が路上の紙芝居や、本の漫画とするならば、正に江戸時代の
発想のツールである
文庫本やコンサートや芸術作品も並列して反映してこそ、均衡が保たれ
大きな繁栄につながるのではないか

二つ目の功罪は、本来やらなければならない事が達成できなくても、自己
満足が得られる事でる
お客様からは否定されたが、少なくとも社長はOKと言ったとか、部長から
は予算を約束してもらったといったことが起きやすくなる
内容が不十分であっても、とにかくにも素人の社長に説明し、OKと言った
からと言って、その道のプロのお客にダメだしされたら、それはだめなのである
技術的な問題で、その道のプロの目下の研究分野等では、素人には到底理
解不可能だが、ある一点さえ解決すれば大きな展望が開けるという場合が
良くある、そのための予算申請といった場合が厄介なのである
研究者の間では説明の必要ない事が、素人には説明さえできない
しかし予算を取れないとライバルに負ける、お客からは急かされる
そこで社内用の企画書というかやさしい説明書を徹夜で作るはめになる
しかし何をどうやって説明していいか判らない
プロには説明不要な事ばかりなのだから
そこで、説明する事は、ライバルに負けるとか、開発に10年かかりもう少しだとか
研究には素人だが金にはうるさい人が食い付く事柄だけを列挙する事になる
この人には営業的視点で、この人には経理的視点でと、研究者には全くちんぷん
かんぷんの理由をあみださなければならない
挙句の果てに、不成功になった時、冒頭の自己満足の世界に浸るのである
企画のための企画、内部承認のためだけの企画・・・
例えば、社内人事異動の企画書や内部調整の企画書など何の価値がある
外に向かって発信する時にこそ企画は価値を生むのではないのか
更にはその企画を実施出来た時、初めて価値を生むのである
何が何でも企画書やプレゼン資料の体裁でものを語るのは、それだけで大きな
ロスを生むことを皆感じているはずである、それでも止められないのは、自己満
足が得られるからと言ったら言い過ぎだろうか


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