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北海道旅行記
11.アイヌ文化考
今回の旅行の目的の一つがアイヌ文化について現物に
ふれて知識を深める事だった
私の先入観について説明すれば、本来沖縄から樺太ま
で縄文時代は今のモンゴル系とは違う民族が住んでい
た、大きく3つの民族に分かれ、南方系、漢民族系、
北方モンゴル系である
その3つの民族は厳密に言うと「人類」ではないと思
っている
最新の研究によると、人類はアフリカを出発点にして
世界に広がったが、今の人類は約3〜5万年前にアフ
リカを出発して世界に分散したとDNAの研究から判
ったらしい
従来の定説は原人が200〜300万年前にアフリカ
に誕生しその後各地に分散しながらそれぞれの地域で
進化発展したと考えられていた
そうでないと肌の色や体形が急激に分化した事になる
それから昔の「種類」と人類とはどういう関係にある
のか、新しい謎が発生する
またアメリカ大陸にいた原住民はアジア系人類と近い
ため、北からアラスカに渡り南下したとされているが
氷河期もさることながら氷が溶けて陸続きでなくなっ
た時期が人類が渡った時期より早かった可能性は無い
のか等、疑問は尽きない
また、東北にある三内丸山遺跡は約10万年前からの
陶器や動物の骨が見つかっており、東北にその遺跡が
あるという事は、それ以前にアフリカから他の地域を
経由してその場所に住み着いた訳で、ではどうやって
渡ってきたかと言えば、たとえ海伝いとしても、北か
南以外には無いからである
古代人のカヌーは良く出来ており、我々の想像以上に
遠方まで出かけていたらしい
行くという事は帰ってくるという事であり、潮の流れ
を考えると陸地の全く見えない外洋を航海していたと
しか考えられない地域が存在する
それらの謎を解くにはアイヌや北海道の古代史を明ら
かにする事は必須条件である
もちろん私がその謎を独力で解きたいと言っているの
ではないし、無謀である
一人の日本人として自分のルーツについて出来るだけ
知っておきたい
判らない部分は自分なりの推測や類推で補いながら自
分の意見を持ちたいと思うのである
今回訪問して判った事は、アイヌ人は縄文人とルーツ
は同じだという事、つまり血の混じり具合が多少違うだけ
で基は同じ人種だという事
まず縄文文化がありその後、アイヌ独特の文化に変化
していった
つまり、縄文文化はそれだけ昔から存在した
アイヌの人達が住んだ地域は北海道の中央部から南部
であり、宗谷岬や稚内のある北部には少数ながら別の
民族がいたこと
更にその北方の樺太やシベリアにも幾つかの民族が暮
していた
北海道内では多数派で暮らしも豊かなアイヌ民族に北
方民族は吸収されてしまった事等が判った
残念ながら冒頭に書いた縄文の生い立ちを類推する資
料は無かった
民族的には既にアイヌ人は日本人と区別がつかないほ
ど溶けこんでおり、第二次大戦前までは差別があった
が、現在は差別というより、アイヌ文化の保存や独自
性の強調を自ら行い、貴重な文化を守っていく活動が
紹介されていた
私は日本文化の他には無い特徴として、征服による殺りく
方法の違いがあると思っている
西欧や中国では子孫の復讐を恐れて、根絶やしにすると
いう話が頻繁に出てくるが、日本では国譲り神話の様に
死後の祟りを恐れて、殺してしまった者を盛大に祀っ
たり、殺さずに遠方に島流しにしたりすることが多そ
うである
一般庶民の間では、差別はあったが、やがて結婚を通
して同化していったのではないかと考えている
私の故郷では火祭りという行事が毎年行われるがその
際に山伏が何処からともなく集まってきて、ホラ貝を
吹きながら火の周りで呪文を唱え、火が下火になると
2つに分けその間を駆け抜ける
これを火渡りと呼んでいた
これは仏教でも神教でもないことが私でも判った
もちろん呪文を唱える所は仏教的だし、縄に紙を挟ん
でしめ縄風にする所は神教的であるが根底にある者が
何か違う
大人になってこれが縄文時代のお祭りの名残ではない
かと思うようになった
縄文人は神様でも仏様でもない別の神様を信奉してい
たのである
そうでないとこういうお祭りにはならない
山伏は縄文人の血を強く引く人達で、山から山を移動
しながら獣を取ったり、木や竹で細工物を作ったりし
て里山の人達と交流しながら生計を立てていた
そんな事を感じるのである
ゼロか一かではなく、同化する、和をもって尊しとする
そんな思想が日本人の我々には流れている
最後に立ち寄った白老の博物館でビデオでアイヌの祭
りの様子が流れていたが、周りに見物人が大勢囲んで
見物していた
自分達と違う文化を排斥するのではなく、それもまた
良しとする考え方は生活が豊かでないと出来ないと思
う、他人の物を盗んだり奪ったりしなくても生活して
いける土壌が広い心を生む
ビデオを見て、アイヌの人達でなくその周りの見物人
を見てそんな事を思った
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