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ヤマハHS90
当時(1970年頃)は、バイクは実用性から趣味性に主流が移る頃だったように思う
色は黒とメッキから、カラフルなタンクやサイドカバーになり、排気量も50ccや90ccから
250cc、350ccさらに大排気量のバイクが続々と出てくる時代だった
ヤマハは2サイクル2気筒エンジンで350ccを頂点に250、125、90まで統一したシリ
―ズを完成させその90ccバージョンがHS90だった
エンジンの性格は低回転では全くふけず、途中から急激にトルクが湧き出し、高回転まで
吹け上がる初心者の私には恐ろしく、やがて胸躍る素晴らしいものだった
高回転では友人のCB125Sよりも加速が良く、最高速も同等だった
やがて仲間達が上級バイクにステップアップしていく中で、私は予算の関係でCB350に
したが、友人がRX350を購入、サードギヤでも前輪が浮き上がるという恐ろしい加速
のマシンだったが、HS90もその血筋を引くバイクと改めて感じたのを覚えている
このバイクに乗り2〜3ケ月で事故をおこした
幸い、かすり傷で済んだが心に残るきずは大きかった
今でも、その時の映像が手に取る様に残っており、私自身の戒めになっている
自分が情けないというより、親に心労をかけた事が辛かった
通学の為その後も2年ほど乗ったが、乗っててあまり楽しいと感じなくなった
私は運動神経が良い方ではなく、もっとのんびり乗りたいのだが、バイクがそれを許さない
いつも葛藤をしながら、アクセルをふかすのを我慢して乗っていた
事故が無ければ、もう少しの間前傾姿勢で乗り続けたかもしれないが、気分が落ち込んだ
そんな時友人が50ccの2サイクルバイクであるヤマハFT50からCB125Sに乗り換えた
友人にバイクを借りて乗ってみて、2サイクルとのあまりの差に愕然とした
何回か借りている内に、私にあっているのは4サイクルだと思い始めた
しかし、金が無い、私にとって一万円どころか1000円でも大金だった
中古のバイクでも数万円するのに、買ってすぐ事故を起こし、また新しいバイクに乗るなど
考えられなかった
文字通り通学の足として、たんたんと2年間HS90にのった
年を取った今、その頃の思いを振り返ると、苦く、辛い
バイクに罪はない、悪いのは未熟な自分であった、判っているのだがHS90を好きになれ
ない自分がいた
今なら、わだかまりを捨て、あの初めて乗った時の、加速に胸躍らせた自分に戻れるのだ
ろうか、そういう思いでもう一度乗ってやらないとバイクに申し訳ないと思っているのだが
もう乗りたくてもHS90は手に入らない
初恋の人はいつまでも心に残ると言うが、恋愛らしい経験のない私には、HS90こそ
初恋の相手だったのかもしれない