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ホンダ (スーパー?)カブC110
*訂正 2021年4月 この間古本屋さんでHONDAの歴史に
関する本を購入したら、年代別に全てのバイクが載っており、
ついにバイクの正式名称が判明
HONDA C115Sという名前であった、排気量54cc
このバイクを知っている人は、相当年配かバイクに詳しい人である
時代を飾った花形バイクを知っている人は多いがこれはごくごく
普通のチョイ乗りバイクだった
このバイクは自分で買ったのではない父の所有で生活の足だった
110というがエンジンは55ccで2人乗りができるというのが長所と
していた
55ccというのが、その後旧車のカタログを見てもはっきりしないの
だが、たしか父がそういっていたような気がする
なにも55ccでなくても90cc位にすればいいじゃないかと思うが
「小さいにも関わらず」ということと思う
紛れもなくスーパーカブのエンジンであり、タフで丈夫で、力が
あった
父はこのバイクで私と弟を乗せ町に遊びにつれていってくれた
50ccでなく55ccはそのためであると思った
もっとも3人乗りは違法と思うが、当時はお巡りさんも大目に見て
くれたように記憶している
OO才の頃(もう時効と思うが無免許で乗りました、おまわりさん
ごめんなさい)、私は父の所有物だったC110をそっと持ち出し、
初めてバイクに乗った
おまわりさんに捕まらないように、裏道、砂利道を選んで走りまわった
当時は免許は教習所ではなく試験場で試験を受け合格しなければ貰
えなかった
逆に言えば、無免許で練習しなければ免許が貰えないのである
家の近所で教習所に通ったという人は一人もいなかった
今から50年前とはいえ、のんびりしたものであった
登りでC110はオーバーヒートで息絶え絶えになりながらも、なんとか
榛名山に登り切り、帰ってそっともとの場所に戻した、しかし、その後何回か
乗ったがはっきりとパワーが落ち、無理をしたのは一目瞭然であった
そのころから父はバイクにあまり乗らなくなったような気がする
父は私がバイクに乗った事を咎めることはしなかった
当時ではむしろ男はそれ位でないと意気地がないという時代であり、
どちらかといえば私は意気地がない方だった
だから、人並みで良かったという安心感もあったのかもしれない
社会人になって、自分の金でバイクを買って初めて、バイクを大切に
するとか、いとおしむように乗るという感じが判ってきた
父には今も申し訳ないことをしたと思っている
少年時代の苦い思い出である